童謡・唱歌『浜千鳥』
1919年(大正8年)
作詞:鹿島 鳴秋
作曲:弘田 龍太郎
はじめにゆっくりと音読し、次にメロディを思い出しながら口ずさんでみてください。
最後にしっかりと声に出して歌ってみましょう!!
大正9年(1920年)の雑誌少女号の正月号に弘田龍太郎の作曲で『浜千鳥』は発表されました。作詞者の鹿島鳴秋は、南房総市和田町を愛し、療養中の愛娘を連れて訪れて和田町へ移り住みました。療養のかいなく亡くなった愛娘を偲んで『浜千鳥』の歌が作られたとされています。
タイトルにある「浜千鳥」とは、浜辺にいるチドリ科の鳥類の総称で「ハマチドリ」という鳥類の種は存在していません。浜千鳥 は、冬の季語で、和歌では「あと」「行方(ゆくえ)」などの語を導く序詞として使われています。
「わすられむ 時しのへとそ 浜千鳥 ゆくへもしらぬ あとをととむる」
古今和歌集 巻十八 雑歌・下 よみ人しらず
「白浪の 打ちいつるはまの はまちとり 跡やたつぬる しるへなるらん」
後撰和歌集 恋・四 朝忠朝臣
5月から8月頃にかけて、多くの鳥が繁殖期を迎え、巣をつくり、卵を産み、ヒナを育てます。スズメやヒヨドリなどは、ふ化後10日から2週間程度で巣立ちますが、すぐに自立するわけでなく、しばらくは親と過ごし、生きていくのに必要なさまざまなことを学びます。
巣立ったばかりのヒナを「巣立ちビナ」といいますが、巣立ちビナはうまく飛べずに地面におりて休憩していたり、親鳥がエサを運んでくるのを待っていたりすることがあるそうです。このとき、迷子やケガをしていると間違えて保護してしまうと、親鳥とヒナを引き離すことになってしまい、飛び方やエサのとり方を学ぶ機会を失ってしまいます。親鳥はすぐ近くでヒナの様子をじっと見ているそうです。
『浜千鳥』は、親への追慕を鳥の姿に託した美しくも悲しい名曲です。巣立ちビナが月夜の浜辺で親を探す哀しい情景をまざまざと脳裏へ浮かび上がらせます。親から受けた愛情というのは一緒に暮らしている間は気づかないものです。若い時分には親の言葉がいちいち煩わしく感じることもあります。親元を離れて暮らすようになって初めて親のありがたみに気づくことは少なくありません。親と一緒に暮らせていた幼き日々がいかに幸福な時間であったかに気づいた時、深い悲しみとともに過ぎ去りし日々を懐かしく思い返すことしょう。
ジャンルは異なりますが、ドラマ『池中玄太80キロ』の挿入歌『鳥の詩(唄:杉田かおる)』も親を追慕する子どもの気持ちを唄った忘れられない一曲です。
作詞:阿久悠
作曲:坂田晃一あなたがいた頃は 笑いさざめき
誰もが幸福に見えていたけど
人は人と別れて あとで何を想う
鳥は鳥と別れて 雲になる 雪になる
私の心が空ならば 必ず真白な鳥が舞う
鳥よ 鳥よ 鳥たちよ
鳥よ 鳥よ 鳥の詩あなたを想うのは 日ぐれ時から
あたりが夕闇に沈む時まで
人は人と別れて 夜にひとり迷う
鳥は鳥と別れて 月になる 風になる
私の心が水ならば 必ず北から鳥が来る
鳥よ 鳥よ 鳥たちよ
鳥よ 鳥よ 鳥の詩あなたはいつの日か 巣立つ私を
静かな微笑みで見つめてくれる
人は人と別れて 愛の重さ覚え
鳥は鳥と別れて 春になる 秋になる
私の心が湖ならば 必ずやさしい鳥が棲む
鳥よ 鳥よ 鳥たちよ
鳥よ 鳥よ 鳥の詩
昭和41年3月(1966年)には、花園海岸の松林の中に高さ1mの黒御影石の碑石に『浜千鳥』の歌詞の刻まれた歌碑が建てられています。浜千鳥の鳴く声を探しに、歌の旅へ出かけてみませんか?
『浜千鳥』ゆかりの地
所在地:浜千鳥の歌碑へは、JR内房線和田浦駅下車徒歩5分のバス停和田浦駅入口からお花畑行き乗車「終点」下車徒歩2分JR内房線和田浦駅からタクシーで5分周辺には、花園海岸、お花畑、和田浦海岸、白渚海岸、磯料理の宿沖見屋などがあります。
家族旅行にうれしいお宿の情報が満載!
【JTB】ファミリー旅行特集
回想法
- お母さん・お父さんは、どんな人柄でしたか?
- お母さん・お父さんは、あなたに名前にどんな願いを込めましたか?
- お母さん・お父さんとのずっと大切にしたい幸せな思い出はありあすか?
- お母さん・お父さんに対して言えなかったこと、後悔していることは何ですか?
- お母さん・お父さんと一緒に旅行した想い出はありますか?
- お母さん・お父さんの一番好きなところは何ですか?
- お母さん・お父さんが結婚した馴れ初めを知っていますか?
- お母さん・お父さんの出身地はどこですか?
- お母さん・お父さんの故郷へ遊びに行った時の想いではありますか?
- お母さん・お父さんに叱られた記憶はありますか?
- お母さん・お父さんに褒められた記憶はありますか?
- お母さん・お父さんからもらった想い出の品はありますか?