1.脳フィットネスとは
脳フィットネスは、筆者が作業療法士として20年以上の臨床経験を基に作成した脳を活性化するためのプログラムです。実際に精神科の認知症治療病棟において集団リハビリに使用していた内容を再構成しています。認知症予防に効果があるとされる各種の非薬物療法を包括的に用いてMCIならびに認知症の予防をはかります。主な療法を下記に紹介いたします。
2.リアリティ・オリエンテーション
リアリティ・オリエンテーションは、1968年、Folsomの提唱により、退役軍人管理局病院で開始されました。人、場所、時間などの情報を反復して示し、見当識障害(今がいつか(時間)」「ここがどこか(場所)」「あれは誰か(人)」がわからなくなる状態)の改善を図ります。認知症の初期段階において、ある程度有効性が認められていますが、中等度以上の効果は明らかでありません。
脳フィットネスでは、カレンダーを見ながら、今が何年、何月、何日、何曜日なのかを確認していきます。時計の針を見て今の時間を答えたり、自分が今いる場所を答えたり、あるいは有名人の写真を見てその人が誰なのかを言い当てます。今、この文章を読んでいる皆さんには、そんな当然わかりきっていることを答えるのはバカバカしいと思われるかもしれません。しかし、認知症やその前駆症状であるMCIレベルの人には困難なことなのです。毎日繰り返し行うことで見当識を高めるだけでなく、早期に認知症の兆候を発見するきっかけにもつながります。
3.回想法
回想法は、一言で言うと思い出話です。バルターは、高齢者の昔話が現実逃避などでなく、重要な意味があると提唱しました。過去の思い出を、受容的、共感的な態度で聞く対人援助技法の一つで、自己の再評価、自己認識、コミュニケーションの進展、認知症の周辺症状の減少などに効果があると考えられています。
脳フィットネスでは、例えば、馴染みの風景の写真を見ながら思い出を語り合って頂きます。思い出を語り合うことで、活動性や自発的な会話の増加が促されます。いつ行ったか、誰と行ったか等、思い出すヒントになるような写真や文字を呈示することで、記憶の想起が容易になります。可能であれば、参加者の方それぞれに写真を提示していただき、 写真を見ながら子どもの頃の出来事や家族との思い出を回想して頂きます。一緒に映っている相手と自分との関係性や思い出を語っていただくことで記憶の想起を促します。
4.体操(運動療法)
運動の目的は、一義的には運動機能、心肺機能、精神活動を改善することにありますが、最近では身体面への有効性とともに認知機能への効用も注目されています。高齢者の場合、安静にしていたり、刺激の乏しい家の中に閉じこもる生活になりやすく、ものを考えたり判断する精神機能が衰え、まずは活動意欲が低下し、進行すると認知症状の増悪をまねく可能性があります。今のところ、エビデンスレベルとしては妥当性と信頼性が低いとされますが、運動が不安やうつ症状を軽減する効果があることは多くの研究で実証されており、精神症状への運動療法の意義は確認されています。
脳フィットネスでは、一般的な体操とともにdual task(二重課題)を行います。二重課題は、実験心理学の分野を中心に検証されてきたパラダイムのひとつであり、2つの課題を同時に実行する際の各々のパフォーマンス変化に着目するものです。 2つの課題(身体をうごかす+頭をつかうなど)を同時に処理・実行することは、加齢に伴い難易度が上がり、認知機能低下・障害がみられる患者では実施が困難な場合も多くみられます。二重課題のトレーニングにより脳の「前頭葉」部分に活力を与えられると考えられており、認知症や転倒予防に効果的とされています。
5.視覚トレーニング
人間は日常生活において,外部情報の約8割を目に頼っていると言われます。視力的な問題は、アルツハイマー病のサインである場合があります。視覚的な評価により認知症の早期発見に取り組んでいる研究も散見されます。認知症になると、読んだり距離を判断したり、色やコントラストを見極めるのが難しくなることがあります。認知症の方が時々、 自分自身が鏡に映っているのに他人に話しかけるように呟いているのを見ることがあります。これは、記憶や見当識など様々な認知が関与しいると思われますが、視覚変化もその要因の一つだと思われます。
脳フィットネスでは、視覚訓練を通して,視覚認知と日常生活行為の維持を図ります。視覚のターゲット(物体)をアニメーションで示すことによりターゲットの運動の方向を眼球運動で追い駆けます。動く物体を反射的に目で追うことで視覚そのもののトレーニングになるだけでなく、物体そのものの名称を言い当てることによりで認知と記憶へも働きかけます。ターゲットには動物や食べ物など、参加者の注意や興味をより惹きつけるものを選択します。
6.脳トレーニング
いわゆる脳トレです。学生時代を思い出して計算問題や音読などの学習をおこないます。知的活動は物事を考えることが多く、脳の機能の多くをつかう必要があり、認知症の予防にも繋がると考えられています。パズルに定期的に取り組んでいる人ほど、注意力・推論力・記憶力を評価するタスクが優れていたとの研究結果もあります。人間の高次認知機能は20代後半をピークに低下するとはいえ、脳のトレーニングを行えば、学習能力は再び向上することが期待されます。
脳フィットネスでは、たとえば、「120円のトイレットペーパー1袋、88円の卵2ケース、100g66円の豚肉を300g買うと合計いくらになりますか?」といった計算問題や、四字熟語や漢字などの国語の問題を、画像を使っておこないます。また、“金子みすず”や“宮沢賢治”の詩を一行ずつしっかりと発声して音読をします。文章にちなんだ画像を見ながら音読することで個々人の記憶へも働きかけます。また、間違い探しといったゲーム的要素のあるものもおこないます。視覚的に絵を覚え、それが間違っているかをこれまでの経験や絵から考え、何度も比較する必要があることから、注意力や空間認識能力を鍛えることができます。
7.音楽療法
音楽療法の効果として、心身のリラックス、不安やストレスの軽減、長期および短期記憶力の改善,現実認識の改善が期待されています。認知症に伴う徘徊や暴力などの周辺症状や認知機能のへの効果を検討した研究では、いずれも改善を認めており、さらに社会的機能や感情面への効果についても有効であったとの報告があります。一方で、いずれの研究も方法論的に満足できるものではなく、結果の提示法も十分ではないことから、音楽療法の効果は完全に肯定されるものではないのも現状です。
脳フィットネスでは,音楽を受け身的に聞くだけの受動的音楽療法と参加者みずからが歌を歌ったり、楽器を演奏したりして、積極的に音楽を行う能動的音楽療法があります。脳フィットネスでは、童謡、唱歌、演歌、フォークソングなどを歌ったり、また歌にあわせて、鈴、タンバリン、ベルなどの楽器を演奏したり歌体操や踊りなどを、参加者自身が行っていただきます。また、 歌詞に出てくる、花や鳥や虫、地名などの名前から会話を深め、個々人の想い出ともからめながら回想を促していきます。
8.アクティビティ(作業活動)
精神科領域における非薬物療法の一つに芸術療法があります。絵やコラージュ、粘土や造形といったビジュアル(視覚的)アートや、からだを使った表現(ダンス、ムーブメントセラピー)、声や音楽(ミュージックセラピー)、詩や散文、物語を書く(ラィティング)、ドラマなどさまざまな表現を用います。芸術療法には、いろいろな専門分野とアプローチがあります 。
脳フィットネスでは、芸術療法ではなくアクティビティ(作業活動)という言葉を使用します。芸術的表現にとらわれず、人の生活行為全般について意味を持たせたアプローチをしたいからです。たとえば、調理をしたり、花に水をやったりといった行為も、人の生活を彩る表現行為としてとらえることができます。日常的な体験や感情のすべてが、個々人の異なる形態での基本的欲求を満たすものであり、人間性を支えている表現そのものと考えます。
脳フィットネスでは絵画や粘土造形と言ったアート表現も積極的に用いますが、その目的は表現方法や技術を習得することではありません。完成した作品に対して評価を下さず、上手下手、おもしろい、つまらない・・・など技術や熟練度で判断することはありません。脳フィットネスにおけるアクティビティの役割は明確です。脳へ刺激を与える手指の動作やデュアルタスクの要素、見当識を促すリアリティ・オリエンテーションの要素を取り入れたアクティビティを通じてMCIや認知症の進行を予防することです。
9.まとめ
脳フィットネスは、認知症予防に関する近年の研究成果と、筆者の経験にもとづいてプログラムを作成しています。しかし、研究結果は常に反証可能性があり、それが科学の持つ宿命ともいえます。昨日まで正しいとされていた方法が今日には覆されるということがしばしば起こり得ます。脳フィットネスでは当ホームページを通じて、でき得る限り世界の認知症予防の最新の動向を発信していくとともに、認知症予防プログラムへの導入を検討して参りたいと考えています。